M&Aで弁護士に電話がかかってくるのは、これから会社を売る方よりもう売り終わった後の方のほうが多い、というのが当事務所の実感です。代金が後から減らされた、分割払いの残りが振り込まれない、売った先の問題が自分に返ってきた——そうしたご相談が大阪の事務所に届きます。
仲介会社に相談する場面と、弁護士に相談する場面は別物です。仲介会社は売り手と買い手を引き合わせ、話をまとめる立場です。弁護士は売り手か買い手か、どちらか一方の代理人として、その方の利益だけを見て動きます。この違いが、条件が競り合う場面や終わった後に揉めた場面で表に出ます。
この記事では、弁護士が呼ばれる3つのタイミング、他の専門家との役割の分かれ目、売り手が損をしやすい7つの分岐点、買い手側の法務デューデリジェンス(法務DD)、そして「今は弁護士が要らない」と申し上げる場面までを整理します。費用は金額表ではなく見積の出し方でお示しします。
M&Aで弁護士が呼ばれる3つのタイミング
弁護士に声がかかる場面は大きく3つです。①契約書が回ってきた時、②デューデリジェンス(DD)が要ると言われた時、③終わった後に揉めた時。まず、ご自身がどれに当たるかを選んでください。
| タイミング | よくあるきっかけ | 性質 |
|---|---|---|
| ①契約書が回ってきた | 契約書の案が届いた/署名を求められた | 間に合う相談 |
| ②DDが要ると言われた | 買い手として調査が必要/資料提出を求められた | 間に合う相談 |
| ③終わった後に揉めた | 代金が減らされた/払われない/解任された | 手が限られる相談 |
ご相談が最も多いのは③で、しかも仲介会社や税理士が引き受けられない領域です。相手方と直接やり取りする代理人が要る場面になった時点で、依頼先が弁護士に変わります。
一方、①と②は「間に合う相談」です。署名の前であれば、条項を書き換える交渉の余地があります。当事務所が扱った事例でも、基本合意までを当事者だけで進め、契約書のレビューだけを求めてお越しになるご相談は珍しくありません。ただし、基本合意書と最終契約書は別物です。実務書でもこの二つは別個の書式として整理されています(日弁連中小企業法律支援センター『事業承継法務のすべて』の「書式4-3『基本合意書』の例(株式譲渡の場合)」「書式4-4 株式譲渡契約書」)。
基本合意書は大枠の意向を文書にするもので、価格に法的拘束力を持たせないことが多くあります。最終契約書は、代金の支払方法、表明保証、補償、クロージングの前提条件までを定める拘束力のある取り決めです。基本合意で握った条件が、最終契約で自動的に守られるとは限りません。
全体の順番はM&Aのタイムライン・スケジュール完全ガイドで確認できます。
仲介会社・税理士・銀行と弁護士は、どこで役割が分かれるか
「仲介会社に頼んでいるのに、弁護士も要るのですか」というご質問をよくいただきます。答えは、両者は同じ仕事をしていないからです。以下の動画でも、この線引きを解説しています。
仲介は「どちらの代理人でもない」
M&A仲介会社は売り手と買い手の間に立つ立場で、どちらか一方の代理人ではありません。これは落ち度ではなく業務の構造です。仲介契約が何を約束するものかは、日弁連中小企業法律支援センター『事業承継法務のすべて』の「書式4-1 M&A仲介業務委託契約書」に条項として示されています。相手を探し、条件を調整し、成約まで運ぶ——それが中身です。
ここから2つのことが導かれます。第一に、報酬が成約を条件としているのが通常で、「この条件なら売らないほうがよい」という助言を積極的に行う立場にはありません。第二に、どちらの味方でもない以上、相手方と条件を競り合う交渉を依頼者に代わって行う役割ではありません。価格や補償条項で意見が対立したとき、その場に立つのが代理人としての弁護士です。だからこそ、仲介会社を使いながら契約条項の設計と交渉だけを弁護士に任せる組み合わせが成り立ちます。
当事務所が扱った事例では、仲介会社が入っていても交渉が混乱することがありました。中小企業のオーナーが自社株式を経営陣へ譲渡する案件で、周辺にいた人物が独自に交渉へ介入し、話が三方向に割れたのです。代理人として最初に取り組んだのは、価格の交渉ではなく交渉のルートを一本にすることでした。
役割の違いはM&A仲介会社と弁護士の違い【経営者・売り手向け】でさらに詳しく整理しています。
税理士・銀行が扱う範囲と、弁護士が引き取る範囲
誰が何を担当するのかを一覧にすると、今の相談先で足りているかを自分で判定できます。
| 役割 | 仲介会社 | 税理士・会計士 | 銀行 | 弁護士 |
|---|---|---|---|---|
| 相手探し・引き合わせ | ◎ | △ | ◯ | △ |
| 株価算定・財務の評価 | ◯ | ◎ | ◯ | △ |
| 税務の設計・申告 | ✕ | ◎ | ✕ | △ |
| 買収資金の調達 | △ | ◯ | ◎ | ✕ |
| 法務DD・許認可の調査 | ✕ | ✕ | ✕ | ◎ |
| 契約条項の設計・修正交渉 | ✕ | ✕ | ✕ | ◎ |
| 成約後の紛争 | ✕ | ✕ | ✕ | ◎ |
| 一方当事者の代理権 | なし | なし | なし | あり |
◎主担当/◯関与あり/△限定的/✕担当しない。案件により体制は異なります。
最後の行が要点です。代理権を持つのは弁護士だけ——他の専門家と交換できない部分です。
もう一点。取引が終わった後、税務の場面で当時の経緯について説明を求められることがあります。当事務所が扱った先の事例でもそうした場面が生じました。助けになったのは記憶ではなく書面です。契約の内容と報酬の根拠をその都度書面に残すことが、後の説明を可能にします。
取引全体の進み方は中小企業M&Aの進め方完全ガイドにまとめています。
売り手が損をしやすい7つの分岐点
会社や事業を売った方からのご相談は、驚くほど同じ場所で起きています。以下の7つは当事務所が扱った相談から抽出した分岐点で、どれも「契約書のどこか」で決まっています。
| 分岐点 | 契約のどこで決まるか | 今からできること |
|---|---|---|
| 1. 交渉のルートが複数ある | 窓口の取り決め・秘密保持契約 | 窓口を1人に固定し、関係者へ書面で通知する |
| 2. 代金が後から減る | 表明保証・特別補償・価格調整の各条項 | 上限額・請求できる期間・免責額を確認する |
| 3. 口約束が残らない | 完全合意条項 | 前提としている事情を条文か別紙に落とす |
| 4. 後払い分が払われない | 支払条項・アーンアウト・期限の利益喪失 | 質権設定・連帯保証・期限の利益喪失の3点を入れる |
| 5. 売った後の勤務が足かせになる | ロックアップ条項・役員の退任に関する条項 | 地位を失った場合の対価を書いておく |
| 6. 売ったものの責任が返ってくる | 譲渡対象の特定・免責条項・通知義務 | 「引き継いだ範囲」を第三者へ示せる形で残す |
| 7. 負債の切り離しが否定される | スキームの選択 | 債権者への説明と対価の相当性を先に設計 |
1. 交渉のルートが複数あると、条件が固まらない
何が起きるか。オーナー、役員、仲介会社、買い手がそれぞれ別々に話し始めます。買い手から見れば、誰の言っていることが売り手側の意思なのか分かりません。
なぜ起きるか。中小企業のM&Aでは、オーナーと役員、あるいは親族が近い距離にいます。良かれと思って動いた人が、交渉を三方向に割ってしまうのです。
契約のどこで決まるか。この論点は契約書より前の段階にあります。誰が窓口か、誰に情報を出すか、秘密保持の範囲はどこか。『事業承継法務のすべて』でも「情報管理の徹底」が独立した項目として扱われています。情報が漏れる経路と交渉が割れる経路は同じです。
今からできること。①窓口を1人に決める、②それ以外の人は買い手・仲介会社と直接やり取りしないことを書面で伝える、③やり取りの記録を1か所に集める。経営陣への譲渡(MBO)はとくに関係者が近く、この整理が要ります。流れはMBOによる中小企業の事業承継:手続きと法的注意点をご覧ください。
2. 表明保証・特別補償で、代金が後から減る
何が起きるか。合意した金額がそのまま入ってくるとは限らず、「合意額から差し引いた後の額」が実際の手取りになることがあります。差し引きの根拠が、表明保証違反にもとづく補償請求と特別補償条項です。
なぜ起きるか。表明保証は「会社について申告した内容が真実である」と売り手が約束するものです。違う事実が後から出てくれば、買い手は補償を求めます。特別補償条項は、判明済みの特定のリスクについて「これが現実化したら売り手が負担する」と定める条項で、売り手には後払いのマイナスになりえます。
契約のどこで決まるか。DDで出た問題を、価格の引き下げで処理するのか、補償条項で処理するのか、クロージングの前提条件にするのか——この選び方が結論を分けます。加藤真朗ほか『弁護士・公認会計士の視点と実務 中小企業のM&A』でも「DDで発見された問題点への対応」として整理されています。
当事務所が扱った事例では、株式譲渡契約に「一定の在庫が売れ残った場合にその分を代金から差し引く」という特別補償条項が入っていたケースがありました。契約時点では合理的に見える条項でも、その条件を満たせるかが自分の手を離れた後だと意味が変わります。
今からできること。補償条項では次の4点を確認してください。①上限額(キャップ)があるか、②請求できる期間に区切りがあるか、③免責額があるか、④その条件の達成が売り手の努力で左右できるものか。とくに④が抜けやすい観点です。条項の設計は株式譲渡契約 表明保証条項の設計で詳しく扱っています。
3. 完全合意条項があると、口約束は残らない
何が起きるか。「そういう話ではなかった」「そのつもりで合意した」という主張が通らなくなります。完全合意条項とは、契約書に書かれたことがすべてであり、それ以前のやり取りは効力を持たないと定める条項です。
なぜ起きるか。交渉の過程では多くのことが口頭やメールで語られ、その中に売り手が当然の前提だと思っていた事柄が含まれます。しかし完全合意条項があると、書かれていない前提を後から持ち出すのは難しくなります。
ただし、争い方が全く無いわけではありません。契約の解釈にあたっては、契約書全体の文言、締結に至る経緯、当事者の認識などを総合して考えるべきだという整理もあります。当事務所が扱った事例でも、他の弁護士が進めていた事件について、条項の読み方と別の法律構成が採れないかをセカンドオピニオンとして検討したことがあります。もっとも容易な主張ではありません。契約書に書いておくことに勝る対策はない、というのが実務上の結論です。
今からできること。署名の前に「自分が当然だと思っている前提」を書き出し、それぞれが契約書のどの条文に書かれているかを対応させてください。対応する条文が無いものが、後で争いになる箇所です。書けないのであれば、別紙や覚書として残す方法を検討します。締結後に補償や代金の返還を求める場面については、M&A後の損害賠償訴訟|表明保証違反・売買代金返還・補償請求の実務で整理しています。
4. 代金が分割・後払いだと、払われないことがある
何が起きるか。クロージング時に一部だけが支払われ、残りが後払いになる形は珍しくありません。ところが、その後払い分が遅れる、あるいは止まる。売り手は会社を手放したうえで買い手の信用リスクだけを抱える状態になります。
なぜ起きるか。アーンアウト(買収後の業績に連動して追加の対価を払う仕組み)、社債の発行、分割払い——いずれも支払を将来へ繰り延べる形です。売り手から見れば担保のない債権を長期間持ち続けることになります。
契約のどこで決まるか。支払条項と、その裏付けとなる担保の条項です。当事務所が扱った事例では、譲渡対価の一部が後払いだった案件で支払が遅れました。このとき採ったのは督促を重ねる対応ではなく、株式に質権を設定し、支払われない場合に株式の回収を図れる形を求めたうえで、契約にもとづく期限の利益喪失の通知を出すことでした。
今からできること。後払いがある契約では次の3点を確認してください。
- 株式への質権設定——支払が止まったとき、株式を取り戻せる可能性を残す
- 連帯保証——親会社や代表者個人の保証を求められないか
- 期限の利益喪失条項——1回の遅延で残額全部を請求できる形にしておく
実際に支払が止まった場合の進め方は株式譲渡対価が支払われない時の法的対応|公正証書・連帯保証・仮差押の実務、第三者に代金を預けておく方法はエスクロー口座と弁護士の役割をご覧ください。
5. 売った後も経営に残る約束が、足かせになる
何が起きるか。「売却後も一定期間は代表として残ってほしい」と求められ、承諾する。ところが在任中に方針が合わなくなり、途中で地位を離れることになる。問題は対価の側です。
なぜ起きるか。ロックアップ(一定期間の継続勤務・継続関与の約束)と業績連動の対価が組み合わさっているとき、会社の舵はすでに買い手が握っています。売り手は自分で結果を出せない状態のまま、結果責任だけを負うことになりえます。
当事務所が扱った事例でも、売却後に一定期間の継続勤務を約束していた方が、途中で代表の地位を離れることになったケースがありました。地位を失った後の対価の扱いが契約に書かれていなければ、そこから争いになります。
契約のどこで決まるか。ロックアップ条項と対価の算定条項の関係です。スキームを決める段階から検討すべき論点として、加藤ほか『中小企業のM&A』でも「スキーム検討の際の留意点」が扱われています。
今からできること。「自分が途中で外れた場合、対価はどうなるのか」を条文にしてください。①責めによらず地位を失った場合、②自分から辞める場合、③期間満了まで在任した場合で扱いが変わるはずです。退任時の合意書の作り方はM&A後の役員退任合意書の作り方・清算条項のポイントで扱っています。
6. 売ったものの責任が、後から自分に返ってくる
何が起きるか。譲渡した事業・資産・アカウントが譲渡先で問題を起こし、すでに手を離れているはずの元の持ち主に影響が及ぶことがあります。
なぜ起きるか。取引の相手方や、事業の基盤となっているプラットフォームの運営者は、譲渡契約の当事者ではありません。契約は当事者の間でしか効力を持たないのが原則ですから、「譲渡契約書があるから関係ない」がそのまま第三者に通るとは限りません。
当事務所が扱った事例では、事業の一部を譲渡した後、譲渡先の行為を理由に、譲渡元が続けていた別の取引が止まってしまったケースがありました。譲渡契約書を提出しても、相手方が求める「関係がないことの証明」としては足りないと言われ続け、何を出せば足りるのかも示されませんでした。
契約のどこで決まるか。譲渡対象をどこまで特定したか、免責や協力義務をどう定めたか。加藤ほか『中小企業のM&A』でも「潜在的債務・紛争リスク」として、契約に現れない責任の広がりが扱われています。
今からできること。①譲渡した対象を、第三者が読んで分かる粒度で契約書に列挙する、②譲渡先に「説明を求める第三者がいたら協力する」という義務を負わせる、③引き渡した日と引き渡したものを記録する。契約関係の引き継ぎは事業を新会社へ移すとき、締結済みの契約はどうなるかで整理しています。
7. 負債を切り離す形にすると、詐害行為になりうる
何が起きるか。借入のある事業から資産だけを新会社へ移し、負債は元の側に残す。一見すると合理的な形に見えますが、債権者から詐害行為として取り消される、あるいは新会社の資産を差し押さえられるおそれがあります。
なぜ起きるか。債権者から見れば、回収の引き当てになっていた資産が消えたことになります。とくに、同じ場所で、同じ看板で、同じ取引先と続けている場合、実質的には同じ事業が続いていると評価されやすくなります。
当事務所が扱った事例でも、借入のある個人事業から資産を新会社へ移す形が採れないかというご相談がありました。最初の検討事項になったのは手続の細目ではなく、詐害行為と評価されないか、債権者が新会社の資産へ執行してこないかでした。
契約のどこで決まるか。個別の条項というより、スキームの選択そのものです。事業譲渡・会社分割・株式譲渡のどれを選ぶかで、債権者に対する手続と、後から争われたときの土俵が変わります。
今からできること。①移す資産に見合う対価が支払われる形か確認する、②債権者へどう説明するかを先に決める、③「なぜこの形にするのか」を資産隠しではない事業上の理由として説明できるようにしておく。後から理由を作ると弁解に見えます。スキームの違いは会社分割と事業譲渡・株式譲渡の違いと選び方と事業譲渡と株式譲渡の違いで比較しています。
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買い手側で弁護士が入る場面=法務デューデリジェンス
ここまでは売り手側の話でした。買い手側で弁護士が中心になるのは法務デューデリジェンス(法務DD)です。買収後に問題が出れば、その負担は買い手が負います。DDは買う前にそれを見つける作業です。
法務DDで実際に何を見るか
法務DDの対象は広いのですが、中小企業で問題が出やすいのは次の5分野です。
| 分野 | 確認する項目 | 出てきたときの影響 |
|---|---|---|
| 1. 株式の来歴 | 株主名簿と登記の一致/名義株/株券発行会社か/過去の譲渡への承認決議/相続による分散 | 売主が本当に株主かが揺らぐ |
| 2. 許認可 | 必要な許認可の特定/有効期限と更新/名義人/スキームで承継できるか/所管官庁への事前相談 | 買収後に事業が続けられなくなる |
| 3. 契約の条項 | チェンジオブコントロール条項の有無/賃貸借契約の承継可否/リース・保証・担保/競業避止義務の範囲 | 支配権の移転を理由に契約が解除されうる |
| 4. 労務 | 未払残業代/労働時間の記録/固定残業代の設計/社会保険の加入漏れ/就業規則と実態のずれ | 簿外の債務になる。買収後に請求が来る |
| 5. 紛争 | 係争中の事件/内容証明が届いている案件/まだ訴訟になっていない紛争の芽/知的財産の権利帰属 | 決算書に出ない。範囲を広げないと見えない |
5番目の「提訴前の紛争」は、決算書にも登記にも出てきません。これを見にいくかはDDの範囲の決め方次第です。加藤ほか『中小企業のM&A』でも、「対象会社における許認可の取得状況」「対象会社の債務についての担保・保証」「知的財産DDを行う目的」がそれぞれ独立した論点として整理されています。
当事務所が扱った買い手側のご相談では、標準的な法務DDの資料一覧を先にお渡しし、準備していただくところから始めることがあります。何を集めればよいか分からないまま時間が過ぎるのが、いちばんの遅れの原因だからです。
全体像は法務デューデリジェンス(法務DD)の実施方法、確認項目の詳細はM&A法務DDで見るべき50項目にまとめています。
DDの範囲(スコープ)は、自分で決めるもの
法務DDを「やる/やらない」の二択だと思っている方が多いのですが、実際は違います。DDとはどこまで見るかを決める作業です。
範囲を狭めれば費用は下がります。しかし、見なかった箇所のリスクは買い手が引き受けることになります。この交換条件をはっきりさせないまま「安いほう」を選ぶと、後から効いてきます。逆に、網羅的に見ることが常に正しいわけでもありません。
当事務所が扱った事例では、まず最小限の範囲で見積を提示した後、提訴前の紛争についてのリスク分析を追加したいというご依頼があり、範囲を組み替えたことがあります。「全部やるか」ではなく「どこを厚くするか」で調整するのが実務的です。
順序は、①最も避けたい事態を言葉にする、②それがどの分野から生じうるかを特定する、③その分野を厚く見て他は薄くする、④薄くした部分を表明保証や補償で手当てできないか検討する。DDと契約条項は代替関係にあります。
すでに顧問弁護士がいる場合は顧問弁護士とM&Aデューデリジェンス、株式まわりの書類不備は中小企業M&Aの株式書類不備|名義株・公正証書・連帯保証の落とし穴で扱っています。
弁護士が「今は要らない」と言う場面
すべての株式譲渡に代理人が必要なわけではありません。条件がほぼ固まっていて、あとは契約書の形を整えるだけなら、代理人を立てない選択も十分にありえます。
当事務所が扱った事例でも、持株を共同経営者へ譲るご相談で、代理人を立てる場合の見積までお出しした後、当事者だけで条件がまとまり、ご依頼には至らなかったことがあります。こうした結末は珍しくありませんし、それでよいと考えています。
契約書の形については、実務書に書式が用意されています。日弁連中小企業法律支援センター『事業承継法務のすべて』にも「書式4-4 株式譲渡契約書」が収録されており、取引が単純であれば書式を土台にできる場面があるということです。
では、どこで線を引くのか。次の5つのうち1つでも当てはまれば、弁護士を入れることをご検討ください。
弁護士を入れたほうがよい5つの目印
- 相手方に弁護士が付いた——条項の読み方で不利になる可能性
- 代金の一部が後払い・分割・業績連動——担保の設計が必要になります
- 株主が複数いる/相続で分散している——全員から同意を取る手順が要ります
- 売った後も勤務や関与を求められている——地位を失った場合の扱いが要ります
- 会社に借入・保証・係争がある——切り離し方が後から争われます
いずれにも当てはまらず、代金が一括で株主が自分ひとりなら、まず当事者間で条件を詰めてから書面化を考える順序でも問題が生じにくい場面があります。
手続の流れは株式譲渡M&Aの手続き完全ガイド【売り手・経営者向け】、非公開会社での承認手続と名義株の整理は非公開会社の株式譲渡手続き・承認・名義株整理をご覧ください。読んで「自分でできる」と判断されるなら、それも一つの判断です。迷いが残る点があれば、その部分だけの相談も受けています。
相談の前に用意しておくと早いもの
全部そろえてからでなくて構いません。今あるものだけでお越しください。あると早いのは次の4つです。
- 相手方から来た文書の原本——最初の通知と、その後に届いた通知
- ご自身が出した書類——回答書や提出資料の控え
- 契約書・基本合意書・覚書——署名済みのものと案の段階のもの
- やり取りの時系列メモ——いつ誰が何を言ったか。箇条書きで構いません
当事務所では、最初のご相談で資料をすべて求めることはしません。扱った事例でも、相手方からの最初の通知、こちらが出した書類、その後の通知——この3点があれば争点の見当はつきました。資料集めに時間をかけて相談が遅れるほうが、選べる手は減ります。
もう一点。お持ちいただいた「契約書」が、中を読むと契約書ではなかったということがあります。表題は「契約書」でも、実際には別の書面である場合です。表題ではなく中身を見ますので、書面の名前で判断せず、手元にあるものはそのままお持ちください。
費用の考え方と、見積の出し方
「定価はいくらか」というご質問をいただきますが、実際には費用は業務の範囲で決まります。契約書を1本読むのと、相手方と交渉し法務DDを行うのとでは作業量が大きく変わります。ですから当事務所では、金額を1つだけお示しするのではなく作業を分解したメニュー表という形でご提示することがあります。
当事務所が扱った事例では、買い手側のご相談で、対象会社が伏せられた段階で見積を求められたことがありました。この段階で1つの金額を出すのは不正確です。そこで作業の一覧に単価を並べたメニュー表をお出しし、範囲が決まった段階で組み立てる形を採りました。
別の事例では、業務範囲を「基本合意書と最終契約書のレビューのみ・相手方との協議には出ない」と先に確定させました。範囲を絞れば見積の幅は小さくなります。「いくらかかるか分からない」の多くは、金額が読めないのではなく範囲が決まっていないことに由来します。
| 作業 | 範囲に含まれること | 相手方の前に出るか |
|---|---|---|
| 基本合意書のレビュー | 条項の確認と修正案、後戻りできない条項の指摘 | 出ない(書面の助言のみ) |
| 最終契約書のレビュー | 表明保証・補償・支払・クロージング条件の確認と修正案 | 出ない(書面の助言のみ) |
| 契約書の作成 | こちらでドラフトを起こし、相手方の修正案に対応する | 案件により異なる |
| 代理人としての交渉 | 窓口を引き取り、相手方と直接やり取りする | 出る |
| 法務DD | 分野と深さを選んで調査し、報告書にまとめる | 対象会社へ質問する場面あり |
| 成約後の紛争対応 | 通知の発送、交渉、保全、訴訟。段階ごとに区切る | 出る |
※金額は案件の規模・関係者の数・資料の状態で変わります。範囲が決まった段階で個別に見積ります。
費用と業務範囲が対応する考え方は仲介契約も同じです。『事業承継法務のすべて』の「書式4-1 M&A仲介業務委託契約書」も、報酬の条項と業務の条項が対応する形で構成されています。「何を頼むか」が決まらないと「いくらか」は決まりません。
なお、事業承継・M&Aに関する補助金の対象になる場合があります。採否は申請時期や要件で変わりますので、活用を検討される場合はご相談ください。売却価格の決まり方は中小企業のM&A売却価格の相場はどう決まる?をご覧ください。
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よくある質問
Q. 仲介会社を通しているのですが、弁護士も必要でしょうか。
A. 仲介会社は当事者の間に立つ立場で、どちらか一方の代理人ではありません。契約条項の設計や、条件が対立したときの交渉は弁護士の役割です。仲介会社に頼みながら、契約書のレビューと交渉だけを弁護士に任せる形が実務では多く見られます。
Q. 交渉が始まってしまいましたが、途中からでも頼めますか。
A. 可能です。基本合意まで当事者だけで進み、最終契約書のレビューからご相談いただく例は珍しくありません。ただし、合意済みの内容を動かすには相手方の同意が要りますので、選べる手は署名前のほうが多くなります。
Q. 相手方に弁護士が付きました。こちらも立てるべきでしょうか。
A. ご検討ください。相手方の代理人は、相手方の利益のために条項を組み立てます。同じ条文でも有利な側と不利な側があります。少なくとも署名の前に、条項の意味を確認する機会は持たれることをお勧めします。
Q. もう売却が終わっています。今からでも間に合いますか。
A. 内容によります。当事務所が扱った事例では、譲渡対価の後払い分が遅れた案件で、督促にとどまらず担保の設定と期限の利益喪失の通知を求めた例があります。完全合意条項があっても別の法律構成を検討したことがあります。容易な主張ではありませんが、手が無いと決めつける前にご相談ください。
Q. 大阪以外の会社ですが、対応してもらえますか。
A. 大阪に事務所を置いていますが、他府県の会社に関するご相談もお受けしています。M&Aの実務は書面のやり取りとオンラインでの協議が中心のため、遠方でも進め方は大きく変わりません。裁判手続が必要な場合は、管轄との関係を含めてご説明します。
Q. 顧問税理士がいます。弁護士と併用できますか。
A. 併用が前提だとお考えください。株価算定と税務は税理士、契約条項の設計と交渉、紛争は弁護士が担当します。役割が重ならないため、どちらかを選ぶ関係にはありません。取引後に当時の経緯を税務の場面で説明する必要が生じることもあり、書面を残す点でも連携が有効です。
失敗が起きる箇所はM&A失敗事例から学ぶ|中小企業の社長が陥りやすい判断ミスと防ぎ方にまとめています。

