交通事故で子どもを亡くしたご遺族から、私たちがしばしば受ける、痛切なご相談があります。
「離婚してから一度も会っていない、養育費も一円も払ってこなかった相手が、子どもの賠償金を半分相続できると聞きました。そんなことが、許されるのですか」――と。
残念ながら、相続のルール上、それは「許される」のが原則です。しかし、泣き寝入りするしかないわけではありません。本稿では、この問題に正面から答えを示した重要な裁判例(名古屋高裁の決定)を軸に、育ての親に残された一手を解説します。
(※登場する母子の境遇等は、実際のご相談をもとに、プライバシー保護のため抽象化したものです。)
1. ある母親の話――たった一人で育てた、我が子を奪われて
仮に、彩子さん(仮名)としましょう。
彩子さんは、ひとり娘を、女手一つで育ててきました。娘がまだ赤ちゃんだった頃に離婚し、その後はずっと、母ひとり子ひとりの生活。元夫は、娘を認知こそしていたものの、離婚してから一度も会いに来ず、養育費も、ただの一円も払いませんでした。連絡も途絶え、どこで何をしているのかも分からない。それでも彩子さんは、保育園の送り迎えに、夜の発熱に、運動会に――娘の毎日のすべてを、一人で背負ってきました。
その娘が、交通事故で亡くなりました。
加害者の不注意による、理不尽な事故でした。加害者側には大手損害保険会社が付いており、賠償の話し合いは、やがて裁判へと進んでいきます。子どもの命の価値をお金に換算するという、それ自体が耐えがたい手続きのなかで、彩子さんは気丈に、娘のために闘い続けました。
ところが――事態は、彩子さんが想像もしなかった方向へ動き出します。
何年も音信不通だったはずの元夫が、突然、姿を現したのです。
2. なぜ「育てていない親」が、賠償金を相続できてしまうのか
交通事故で子どもが亡くなったとき、賠償金の中心になるのは、子ども本人に生じた損害賠償請求権(死亡による逸失利益・本人の慰謝料など)です。これは、たとえ即死であっても、いったん子ども本人に発生し、その後相続によって相続人へ引き継がれます。
子どもに配偶者も子もいない場合、相続人になるのは父母です(民法889条)。法定相続分は、父と母で2分の1ずつ。
ここに、ご遺族を打ちのめす現実があります。
養育費を一円も払っていなくても、何年も会っていなくても、「法律上の親」である限り、子ども本人分の賠償金を2分の1相続できてしまう。
「育ての貢献度」は、相続分には反映されません。彩子さんがどれだけ一人で苦労して育てたかも、元夫がどれだけ何もしてこなかったかも、相続のルール上は問われない――これが原則なのです。
彩子さんのケースでも、元夫は弁護士を立て、加害者側に対し「子の賠償請求権を法定相続分に応じて相続した」と主張して、自らも損害賠償を請求しました。そして、およそ9,000万円の支払を命じる勝訴判決を得てしまいます。
育ててこなかった親が、子の死によって、9,000万円を手にする。
育ててきた母は、それを、ただ見ているしかないのか――。
3. 名古屋高裁の答え――「出生のときまで遡って、養育費を払え」
この理不尽に、ひとつの答えを示したのが、名古屋高裁 令和2年2月28日決定(令元(ラ)216号)です。事案は、彩子さんの状況とほとんど同じでした。
事案の概要
- 子は平成19年に出生し、母(権利者)が専ら監護養育していた。
- 父(義務者)は平成20年に子を認知したが、養育には全く寄与していなかった。
- 平成29年1月、子は交通事故で死亡。
- 父は、加害者に対して損害賠償請求訴訟を起こし、子の賠償請求権を法定相続分で相続したという構成で、約9,000万円の支払を命じる勝訴判決を得た。
- これを知った母が、子の出生時まで遡って、過去の養育費を父に請求した。
裁判所の判断
養育費を過去に遡って請求することは、本来、簡単には認められません。義務者が知らないうちに多額の債務をためこむ結果になり、酷だからです。そのため、養育費の分担の始期は「請求時」とするのが原則とされています。
しかし名古屋高裁は、本件には過去に遡って分担を命じるべき「特段の事情」があるとして、子の出生時まで遡った養育費の負担を、父に命じました。
その理由づけが、この裁判例の核心です。
子は、母及びその家族らの監護・養育によって成育したのであり、その死亡により発生した損害賠償請求権は、いわば亡子の生命の代償ともいうべきものである。その監護・養育に全く寄与していない父であっても、子を認知した法律上の父である以上、損害賠償請求権を法定相続分に応じて相続すること自体は当然である。しかし、その父が(相続によって)賠償請求権を取得した機会に、母が、子の出生時にまで遡って養育費相当額の負担を求めることは、公平の見地からみて当然許容されるべきであって、上記の特段の事情があると認められる。
(名古屋高決 令和2年2月28日。原文を要約。出典:『論点別インデックスで引く 養育費・婚姻費用判断の考慮要素』事例〉55〉228~230頁)
この判断の意味
ここが、ご遺族にとって決定的に重要です。
たしかに、育てていない親が賠償金を相続することは、止められません。しかし――
その親が相続でお金を手にしたまさにその機会に、育ての親は「出生時まで遡った養育費」をその親に請求し、相続で渡った分を、実質的に取り返すことができる。
しかも遡及の範囲は、子が生まれたその瞬間から。一切払われてこなかった養育費を、子が生きた歳月のぶんだけ、まとめて清算する。賠償金として相手に渡った約9,000万円のうち、本来その親が負担すべきだった養育費相当額が、母のもとへ戻ってくる――名古屋高裁は、そういう道筋を示したのです。
「育てた者が報われ、育てなかった者が、相続というだけで得をすることは許さない」。判決文の「公平の見地」という言葉には、その強い意志がにじんでいます。
4. ご遺族が知っておくべき3つのこと
| ポイント | 解説 | |
|---|---|---|
| ① | 相続分は「育ての貢献」では変わらない | 養育費未払い・音信不通でも、法律上の親は子ども本人分の賠償金を1/2相続できる。まずこの現実を直視する。 |
| ② | しかし「過去の養育費」で取り返せる余地がある | 相手が賠償金を相続した機会に、子の出生時まで遡った養育費を請求できる(名古屋高決 令2.2.28)。 |
| ③ | 二つの手続きをセットで設計する | 交通事故の賠償(相続)と、家庭裁判所での養育費請求は、別の手続き。両方に通じた弁護士が、全体を一手に設計する必要がある。 |
5. まとめ――「公平」を、あきらめないために
我が子を交通事故で失う。その上で、育ててこなかった相手に賠償金の半分が渡る。これほど受け入れがたいことはありません。
けれども、法律はこの不条理を、そのままにはしていません。名古屋高裁が示したのは、「育てなかった親が相続で得たそのお金を、出生時まで遡った養育費として、育てた親が取り返す」という、明快な公平回復の道です。
相続放棄を相手に期待する必要はありません。相手が「もらえるものはもらう」と動いてきても、こちらには、正面から渡せる一手がある――それが、この裁判例の伝えるメッセージです。
お子様を亡くされ、離婚相手・疎遠な親との相続にご不安を抱えていらっしゃる方は、できるだけ早い段階で、交通事故と家事(養育費・相続)の双方に通じた弁護士にご相談ください。
参考裁判例・文献
- 名古屋高決 令和2年2月28日(令元(ラ)216号)――子の出生時に遡って養育費を支払うことが認められた事例
- 『論点別インデックスで引く 養育費・婚姻費用判断の考慮要素』事例〉55〉228~230頁
- 比較裁判例:大阪高決 平成16年5月19日(家月57巻8号86頁)――認知の遡及効(民法784条)と養育費の始期
※本記事は一般的な解説であり、個別事案の結論を保証するものではありません。登場する母子の事情は、実際のご相談をもとにプライバシー保護のため抽象化しており、金額も概数に丸めています。




