「うちの会社に限って、そんな問題は起きていないはず」と思いながらも、何となく社内の空気が重い、特定の社員が追い詰められている気がする——そんなモヤモヤを抱えている社長は少なくありません。ハラスメントと聞くと、パワハラやセクハラを真っ先に思い浮かべるかもしれませんが、最近、法務の現場で急増しているのが「ITハラスメント(ITハラ)」と呼ばれる問題です。誰も意図していないのに、気づいたときには職場の人間関係が壊れ、退職者が続出していた——そういう事態が、ごく普通の会社で起きています。
ITハラスメントとは何か——二つの顔を持つ問題
「ITハラスメント」という言葉は、大きく二つの意味で使われています。社長としてまず理解しておきたいのは、この問題が一方向ではないという点です。
一つ目は「IT弱者へのハラスメント」です。デジタルツールの扱いが苦手な従業員に対して、「なんでこんなことも使えないの」「いつまでアナログなんですか」と責め立てたり、業務上の重要な情報共有をデジタルツールのみで行うことで事実上仕事から排除したりするケースです。年配の社員や、育児・介護で働き方が変わった社員がターゲットになりやすい傾向があります。
二つ目は「IT強者(部下)から上司への逆ハラスメント」です。IT知識の豊富な若手社員が、デジタルに不慣れな上司や経営者に対して、専門用語を並べて煙に巻いたり、「こんなことも知らないんですか」と見下す態度を取ったりするケースです。上司は反論できず、萎縮してしまうことが多く、「自分が間違っているのかもしれない」と問題を抱え込みがちです。
どちらのケースも、現行法上はパワーハラスメントの範疇で捉えられることがほとんどです。パワハラとして認定されれば、会社は使用者責任を問われ、損害賠償請求や行政指導の対象となりえます。「ITの話だから」と軽く見ていると、気づいたときには法的な問題に発展しているのが、この問題の特徴です。
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なぜITハラスメントの判断ミスが起きるのか——社長が見落とす構造
【図解】ITハラスメントとは何か——二つの顔を持への対応フロー
※ 弁護士に早期相談することで、リスクを最小化できます。
ITハラスメントが問題化したとき、多くの社長がまず陥るのが「本人同士の問題だろう」という判断です。なぜそうなるのか。構造的な理由が三つあります。
①「ハラスメント」と気づきにくい言葉の問題
「使えないね」「なんでわからないの」という言葉は、ITの文脈では「指導の一環」として受け取られがちです。発言した本人も、受けた側も、最初は「ちょっと言い過ぎ」くらいの認識です。しかし、繰り返されることで心理的ダメージが蓄積し、ある日突然「もう限界です」という退職や、労働局への申告という形で表面化します。
②IT格差が「正当な評価」と混同される問題
「デジタルを使えない人は生産性が低い」という評価は、一定の正当性を持ちます。だからこそ、使いこなせない社員への叱責が「適切な業務指導」に見えてしまう。社長自身もデジタル化を推進していれば、「それは仕方ないな」と問題を見過ごしてしまうことがあります。
③記録が残りにくい問題
チャットツールやSlack、Teamsのようなデジタルコミュニケーションは、記録が残るようで、実際には「削除できる」「文脈が切り取られる」という特徴があります。口頭での発言はもちろん記録がありません。被害を受けた側が何かを主張しようとしても、「そんなこと言っていない」「冗談で言っただけ」と否定されるケースが頻発します。
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問題が起きる前にできること——予防の三本柱
ITハラスメントは、発生してから対処するよりも、起きないための仕組みを作る方がはるかに低コストで済みます。社長として取り組むべき予防策は三つです。
①ハラスメント防止規程にITハラスメントを明記する
就業規則の「ハラスメント防止規程」に、パワハラ・セクハラに並んでITハラスメントの具体的な定義と禁止行為を明記します。「デジタルツールの使用に関して業務上必要な範囲を超えた叱責や排除をしてはならない」という文言を入れるだけで、社員の行動に明確な基準が生まれます。規程がなければ、何がハラスメントにあたるのか誰も判断できません。
②ITリテラシーの社内格差を「制度」として解消する
デジタルが苦手な社員を責める前に、苦手な人が苦手なままでいざるを得ない状況を作っていないか確認してください。研修機会の提供や、ヘルプデスク的な相互サポート体制があるだけで、ハラスメントが発生しにくい雰囲気になります。
③相談窓口の実効性を確認する
多くの会社には相談窓口があります。しかし、「窓口が上司の関係者だから言えない」「匿名で言えない」というケースがほとんどです。外部の弁護士や社労士を相談窓口として機能させることで、実際に相談が届く仕組みになります。
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問題発生時の対応フロー——証拠の残し方が勝負を分ける
「ITハラスメントがあった」という報告が社内に入った瞬間から、会社の対応は記録されます。その後の労働審判や裁判で、「会社がどう動いたか」が問われるからです。以下のステップで動くことが基本です。
- 報告を受けた日時・内容を即座に記録する:誰が、いつ、何を言ったか。メールや書面で受け取ったものはすべて保存。口頭で受けた場合は、その日のうちに担当者がメモを作成し、日付入りで保存する。
- 当事者双方から個別にヒアリングを行う:被害者と加害者を同席させてはいけません。個別に、事実確認だけを行います。ここで「どっちが正しいか」を決めようとしないことが重要です。
- チャット・メールのスクリーンショットを保全する:関係するSlack、Teams、メールのログは、削除される前に管理者権限で保全してください。個人のスマートフォン内にあるメッセージは、本人の同意を得て提出を依頼します。
- 第三者(弁護士)へ速やかに相談する:ハラスメント案件は、会社が一方の肩を持ったと見られた瞬間に、もう一方が外部機関(労働局や裁判所)に動きます。早期に弁護士を交えた対応フローを確認することで、会社の判断が後から否定されるリスクを下げられます。
証拠は、紛争になってから急に作れるものではありません。「あのとき記録しておけば」という後悔は、実際の法務相談の現場で頻繁に聞かれる言葉です。
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失敗事例の構造——なぜ相談が遅れたのか
ITハラスメントの相談が弁護士のもとに届くとき、多くの場合すでに事態は深刻化しています。なぜ相談が遅れるのか、典型的な構造を整理します。
「まず社内で解決しようとした」という判断
最初の報告を受けた管理職が、「自分たちで話し合えば解決できる」と判断して、当事者同士を対話させます。しかしハラスメント案件では、加害者と被害者を直接対話させることは被害を悪化させるリスクがあります。この段階で外部専門家に相談しなかったことが、後の「会社の対応が不十分だった」という評価につながります。
「これはハラスメントではないと思った」という判断
「IT指導の延長だろう」「部下が少し気にしすぎているだけでは」という判断で、問題を過小評価するケースがあります。被害者がその後、外部の相談窓口に連絡し、労働局の助言・あっせん手続きが始まって初めて問題の深刻さを知る——この展開は珍しくありません。
「証拠がないから対応できない」という思い込み
会社側が「証拠がなければ動けない」と判断して放置した結果、被害者が自ら証拠を集め始めます。その過程で録音・スクリーンショットが蓄積され、被害者側の主張が強固になった段階で争うことになります。「証拠がないから問題ではない」ではなく、「証拠がない段階でこそ、事実確認と記録保全をする」という発想が必要です。
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うちの会社ではどう考えればいいのか
「ITハラスメントが問題になりやすい会社の特徴」を知っておくことで、自社のリスクを客観的に測ることができます。以下のいずれかに当てはまる場合は、一度社内の状況を確認することをお勧めします。
- デジタル化・DXを急速に推進している
- 若手と中高年社員のITリテラシーに大きな差がある
- チャットツールが業務の主要連絡手段になっており、電話や対面での相談がしにくい雰囲気がある
- 「使えない人は淘汰されていい」という空気が(言葉にならなくても)ある
- ハラスメント相談窓口はあるが、実際に使われた記録がない
次の一手として、まず社内の「ITリテラシー格差の状況」と「ハラスメント防止規程の記載内容」を確認してください。規程にITハラスメントの定義が入っていなければ、就業規則の改訂が最初のステップです。規程の改訂は、弁護士や社労士と協力して行うことで、実効性のある内容に仕上がります。
再発防止策——一度起きた会社がすべきこと
ITハラスメントが一件発生した会社では、再発防止として次の三つを実行することが求められます。
①再発防止研修の実施と記録
全社員向けの研修を行い、参加記録を保存してください。研修の実施は「会社が問題を認識し、適切な対処を行った」という証拠になります。外部講師(弁護士や社労士)を招いて行うと、より実効性が高まります。
②被害者へのフォローアップ
ハラスメントの被害を受けた社員が、その後どのような状況にあるかを定期的に確認する仕組みを作ります。放置することで、後から「二次被害があった」として会社が責任を問われるリスクがあります。
③加害者への処分と記録
就業規則に基づく懲戒処分を適切に行い、その判断根拠と経緯を書面で残します。「口頭で注意した」だけでは、後から「会社は何もしなかった」と主張されます。書面化された処分記録は、会社が誠実に対応した証拠になります。
ITハラスメントは一件対応すれば終わりではありません。同じような問題が形を変えて繰り返されるのが、職場のハラスメントの特徴です。重要なのは「その都度の対応」ではなく、就業規則や社内規程にITハラスメントを含むハラスメント防止の枠組みを組み込み、現場が迷わず動ける体制を整えることです。顧問弁護士がいれば、規程の整備から発生時の初動相談、再発防止研修の設計まで継続して支援を受けられます。弁護士法人ブライトでは、顧問先130社以上の実名を公開し、弁護士歴平均14年以上のチームが「みんなの法務部」として顧問先企業の日常的な法務課題に向き合っています。スポット対応ではなく、会社の体制そのものを強くしていく——それが、ハラスメント問題を繰り返さない最も確実な道です。
よくある質問(Q&A)
Q1. ITハラスメントは法律上どのように規定されていますか?
現在、「ITハラスメント」を直接定義した法律はありません。ただし、職場内でのIT格差を利用した言動は、労働施策総合推進法(パワハラ防止法)が定めるパワーハラスメントの類型(優越的関係を背景にした言動、業務上必要な範囲を超えた叱責、個人の能力を否定する言動など)に該当する可能性があります。法律上の明文規定がないからといって会社の責任がないわけではなく、民事上の損害賠償請求や、職場環境配慮義務違反を問われる可能性があります。
Q2. 加害者が「指導のつもりだった」と言っている場合、会社はどう判断すればいいですか?
ハラスメントの判断は、発言した側の意図ではなく、受け取った側がどのような影響を受けたかを基準に行われます。「指導のつもりだった」という主張は抗弁になりません。会社としては、「業務上の必要性」と「言動の相当性」の両方を客観的に評価し、必要な範囲を超えた言動があったかどうかを判断してください。この判断が難しい場合は、弁護士に事実関係を整理してもらうことが有効です。
Q3. 被害者が「証拠がない」と言っている場合、会社は動けないのでしょうか?
動けないわけではありません。「証拠が不十分だから放置する」という対応は、後から「会社が対応を怠った」として問題になります。証拠が少ない段階でも、関係者への個別ヒアリングを行い、その記録を残すことが重要です。ヒアリングを通じて事実関係が明確になれば、その後の判断材料になります。また、チャットや業務ログなど、会社が管理権限を持つ記録は積極的に保全してください。
Q4. 顧問弁護士がいれば、ITハラスメント対応はどう変わりますか?
最も大きな違いは「初動の速さ」です。ハラスメント案件は、最初の対応が適切かどうかで、その後の展開が大きく変わります。顧問弁護士がいれば、問題が報告された段階で「今すぐどう動くべきか」を相談でき、会社として誠実に対応した証拠を積み上げることができます。また、就業規則・ハラスメント防止規程の整備を日常的に確認することで、問題が発生する前のリスクを下げる効果もあります。揉めてから弁護士を使うのではなく、揉めないように弁護士を使う——それが顧問契約の本来の価値です。
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