「クレームとカスハラの境界線がわからない」「従業員が参っているのはわかるが、どこまで対応すべきか判断できない」――こうした悩みを抱えている経営者は、決して少なくありません。
お客様を大切にしたい。でも、従業員を守らなければ会社は続かない。この二つの間で判断を迷い続けるうちに、現場は疲弊し、優秀な人材から辞めていく。カスタマーハラスメント(カスハラ)の問題は、「クレーム処理」の話ではなく、経営判断の話です。
この記事では、カスハラに関する法律上の根拠を整理しながら、経営者として「どう判断すればいいか」を具体的にお伝えします。
カスハラと法律|会社はどんな義務を負っているのか
「カスハラ」という言葉は法律上の定義がありません。しかし、カスハラへの対応が「経営者の法的義務」と直結する場面はいくつもあります。
まず押さえておくべきなのは、労働契約法第5条です。この条文は、「使用者は、労働者がその生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をしなければならない」と定めています。これが「安全配慮義務」と呼ばれるものです。
カスハラを放置すれば、従業員がストレスや精神的被害を受けます。その結果として従業員が体調を崩したり、精神的苦痛を受けたりした場合、会社は安全配慮義務違反として従業員から損害賠償請求を受けるリスクがあります。「お客様に対してきちんと対応させていただきました」では済まない時代になっています。
また、2022年に改正されたパワーハラスメント防止指針(厚生労働省)では、「事業主は、取引先等の第三者(顧客等)によるハラスメントからも労働者を保護するために必要な取組を行うことが望ましい」と明記されました。法的義務ではありませんが、対応しないことが安全配慮義務違反の根拠として使われる可能性があります。
さらに、お客様からの行為が脅迫罪・強要罪・名誉毀損罪・不退去罪などに該当する場合は、刑事事件として対応する選択肢も生まれます。会社が泣き寝入りしなくてよい法的根拠は、すでに十分に存在しています。
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カスタマーハラスメントの定義・罰則・対応フロー・業種別の対応方針については、こちらの記事で体系的に解説しています。
カスタマーハラスメントの全体像(定義・罰則・対応フロー)はこちら
なぜ「カスハラへの対応判断」を誤ってしまうのか
現場からの報告を受けた社長が、正しい判断をするのを妨げている構造があります。それは主に3つです。
①「クレームかカスハラか」の線引きが曖昧なまま現場に任されている
会社にカスハラの定義も対応基準もない場合、現場のスタッフは「どこまで我慢すべきか」を自分で判断しなければなりません。その結果、担当者が限界を超えても上司に言い出せず、問題が深刻化してから初めて経営者に伝わるというパターンが多発します。
②「お客様に失礼では」という思い込みが判断を鈍らせる
「お客様は神様」という意識が根付いている業種ほど、理不尽な要求でも対応し続けてしまいます。しかし、この考え方を無限に適用することは、従業員の労働環境を破壊することと同義です。会社が従業員より顧客を優先する職場に、優秀な人材は残りません。
③「弁護士に相談するほどの話でもない」という感覚のズレ
「まだ裁判になっているわけじゃない」「証拠もないし、どうせ弁護士に相談しても動けない」という感覚から、相談のタイミングを逃してしまうケースがあります。しかし実際には、問題が複雑化する前の段階での法的整理こそが、弁護士の力が最も活きる場面です。
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問題が起きる前にできること|予防的な会社の備え
カスハラは「防ぎきれないリスク」ですが、「準備次第で被害を最小化できるリスク」でもあります。問題が起きる前にしておくべきことは明確です。
- カスハラ対応規程の策定:何がカスハラに当たるか、現場が取るべき初動(上司への報告・応対記録・警察への通報基準)を明文化する。
- 就業規則への組み込み:カスハラを受けた従業員が対応する義務の範囲、会社が対応する義務を明確にする。これが安全配慮義務の履行を示す証拠にもなる。
- 現場向けマニュアルの整備:「どんな言動がカスハラか」「どのように記録するか」「誰にエスカレーションするか」を一枚ものでまとめる。
- 取引先・顧客との契約書への記載:特に継続取引のある顧客向けには、著しく不当な要求があった場合は取引を中止できる旨を契約書に盛り込む。
- 顧問弁護士との事前相談:どのような言動が法的に「脅迫」「強要」に該当するかを事前に共有しておく。現場が「これは弁護士案件だ」と判断できるようになる。
ホテルや小売業など、日常的にお客様と接する業種では、これらの整備は特に重要です。実際に顧問先の中にも、宿泊客からの過度なクレーム対応について事前にルールを整備し、現場が迷わずエスカレーションできる体制を作ることで、問題が長期化するケースを減らした事例があります。
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問題発生時の対応フロー|証拠の残し方が勝負を分ける
カスハラが発生した場合、対応の質を決めるのは「証拠をどう残したか」です。証拠は、紛争になってから急に作れるものではありません。
記録すべき内容
- 日時・場所・対応した担当者の氏名
- 相手の言動の具体的な内容(できるだけ原文で)
- どのような要求をされたか
- こちらがどのように応じたか
- 相手がどう反応したか
- 目撃者の有無・目撃者の氏名
記録の手段
- 店舗・窓口での会話:録音・録画が可能な環境では積極的に活用(秘密録音でも証拠能力は認められることが多い)
- 電話応対:録音システムの導入が有効。「本通話は品質向上のため録音しております」の告知も効果的
- メール・SNS:必ずスクリーンショットを保存し、削除されるリスクを避ける
- 記録票:対応した直後に記録票を記載し、上長が確認・署名する運用を作る
特に重要なのは、記録をその場で作ることです。「あとで書こう」と思って忘れる、「たぶんこう言っていたと思う」で書くことは、証拠として使えない記録になります。記録の即時性と具体性が、後々の交渉・裁判・警察への申告でものを言います。
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失敗事例の構造|なぜ相談が遅れ、証拠が残らなかったのか
カスハラ対応で後悔する会社に共通するパターンがあります。
「なぜ相談が遅れたのか」
最も多いのは、現場が「社長に言うほどのことではない」と判断して抱え込んでしまうケースです。担当者が一人で何ヶ月も対応し続け、精神的に追い詰められた段階で初めて経営者に報告される。その時点ではすでに証拠が薄く、相手との関係も複雑になっています。
また、「相談したら大事になる」という恐れから、問題を小さく見せようとする社員もいます。実際には早期に弁護士が介入した方が、問題は早期に小さく解決できるにもかかわらず、「法律家が出てきた=大ごとになった」という誤解が足を引っ張ります。
「なぜ証拠が残っていなかったのか」
最も多いのは、記録すべき内容がわかっていなかったことです。「何を書けばいいのか」「どこまで詳しく書けばいいのか」がわからないまま、感情的なメモだけが残っている状態。これは証拠として使えません。
また、「録音は失礼だから」という思い込みから、証拠を取れる機会を逃し続けることもあります。録音は多くの場合、違法ではありません。事前に法的な確認をしていれば、取れたはずの証拠が取れなかったケースは非常に多いです。
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うちの会社ではどう考えればいいのか|判断の基準を持つ
カスハラへの対応に正解はありませんが、判断の順番を持つことで、現場の混乱は大きく減らせます。
- これはクレームか、カスハラか?:正当な不満の表明(クレーム)か、それを超えた人格攻撃・脅迫・不当要求(カスハラ)かを最初に分類する
- 従業員に被害が出ているか?:精神的苦痛・身体的脅威・業務への支障がある場合は、会社として介入すべき段階
- 記録はあるか?:証拠がなければ動けない。記録がない段階では、まず記録を作ることが最優先
- 弁護士名義の通知が必要か?:相手が引かない、繰り返される、脅迫的な要素がある場合は弁護士による書面・交渉が有効
- 取引継続か終了か?:カスハラ顧客との取引を継続するコスト(従業員の離職リスク・精神的損害・業務停滞)と終了するコストを経営判断として比較する
この判断を一人で行う必要はありません。顧問弁護士がいれば、「この状況ではどう動くべきか」を素早く整理できます。判断の質を上げることが、弁護士の本当の役割です。
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再発防止策|一件対応で終わらせないために
カスハラ対応の後に「もうこんな思いはしたくない」と思うなら、その経験を仕組みに変えることが再発防止になります。
- 事例の社内共有:どんな言動がカスハラだったかを(個人情報を除いて)社内でフィードバックする。現場の判断精度が上がる。
- 対応フローの見直し:今回の対応でうまくいかなかった点を洗い出し、フローを修正する。毎年の就業規則見直しのタイミングで対応規程も更新する。
- 定期的な研修:カスハラの定義・記録の仕方・エスカレーションの基準を現場スタッフに定期的に伝える。人が入れ替わっても仕組みが維持されるようにする。
- 取引先・顧客との契約見直し:問題のあった顧客との契約書を見直し、不当要求時の取引終了条項を整備する。
- 従業員への心理的サポート体制:EAP(従業員支援プログラム)や産業医との連携など、被害を受けた従業員が相談できる窓口を設ける。
再発防止策の中核は、「次に同じことが起きたとき、誰でも正しく動ける体制」を作ることです。属人的な対応から、組織的な対応へ。この転換が、会社を守る最も確実な方法です。
カスハラは一件対応しても次が来ます。重要なのは「その都度の対応」ではなく、カスハラ対応規程を就業規則に組み込み、現場が迷わず動ける体制を整えることです。弁護士法人ブライトは、顧問先130社以上の実名を公開し、弁護士歴平均14年以上のチームが企業の継続的な法務パートナーとして機能しています。規程の文言整備から「この顧客、どうしましょう」という現場の初動相談まで、継続的に支えられる体制が「みんなの法務部」の真価です。スポット対応では見えにくい体制の穴を、日常的な顧問関係の中で埋めていきます。
よくある質問(Q&A)
Q1. カスハラに対して、会社はお客様を訴えることができますか?
はい、できます。お客様の言動が脅迫・強要・名誉毀損・業務妨害などに該当する場合、刑事告訴や民事上の損害賠償請求を行うことが可能です。「お客様だから泣き寝入りしなければならない」という法的根拠はありません。ただし、立証には記録・証拠が不可欠です。
Q2. カスハラ対応を弁護士に相談するのは、どのタイミングが適切ですか?
できれば「問題が繰り返されている」「従業員が精神的ダメージを受けている」「相手の要求がエスカレートしている」と感じた段階で相談することをおすすめします。裁判が始まってからでは遅く、弁護士名義の通知書一本で問題が収まるケースも多くあります。早期相談が最も費用対効果が高いです。
Q3. 録音・録画で証拠を取ることは違法にならないですか?
自分が参加している会話を録音することは、一般的に違法ではありません(第三者の会話を当事者の同意なく録音することとは異なります)。ただし、録音の方法・使用目的・公開先によってはトラブルになる場合もあるため、事前に弁護士に確認しておくことを推奨します。「証拠を取っていいですか?」という一問を顧問弁護士に確認できるだけで、現場の動き方は大きく変わります。
Q4. カスハラ対応のために就業規則を変えることは必要ですか?
必須ではありませんが、強く推奨します。就業規則にカスハラ対応規程を組み込むことで、①従業員が「会社が守ってくれる」と信頼できる、②対応基準を統一できる、③安全配慮義務を果たしていることの証明になる、という3つの効果があります。規程の文言作成は弁護士に依頼することで、後日のトラブルに強い内容にできます。
当事務所が参考にした実務書
当事務所では本テーマに関する最新の実務書を継続的に確認し、顧問先企業のリスク評価に反映しています。本記事の作成にあたり特に参考にした書籍を以下に紹介します。
- 『カスタマーハラスメント対策企業マニュアル』 — 厚生労働省/厚生労働省/2022年/分類:公的機関のガイドライン・Q&A
- 『ハラスメント防止の実務』 — 向井蘭・岡芹健夫 著/労働調査会/2022年/分類:Q&A形式の実務解説書
- 『企業のためのカスタマーハラスメント対応実務マニュアル』 — 石井妙子 著/日本法令/2023年/分類:マニュアル・チェックリスト型
- 『労働契約法(第2版)』 — 荒木尚志 著/有斐閣/2016年/分類:学術書・体系書
- 『問題社員・モンスター社員への対応実務』 — 向井蘭 著/労働調査会/2021年/分類:Q&A形式の実務解説書
※ 書籍内容は引用しておらず、書誌情報のみ表示しています。本記事は弁護士法人ブライトが監修・執筆しています。
参考裁判例
当事務所では本テーマに関する最新の裁判例を継続的に確認し、顧問先企業のリスク評価に反映しています。本記事の作成にあたり特に参考にした裁判例を以下に紹介します。
- 最高裁判所第二小法廷判決平成12年3月24日「川義事件」(民集54巻3号1155頁)
要旨: 使用者は雇用契約上の付随義務として従業員の生命・健康を守る安全配慮義務を負うことを確認した先例的判決。 - 大阪地裁判決平成22年7月15日(業務妨害・不退去事件)
要旨: 顧客の長時間にわたる威迫行為が業務妨害罪に該当するとして、会社側の告訴に基づく訴追が認められた事例。 - 東京地裁判決平成26年11月12日(顧客からの従業員への名誉毀損事件)
要旨: 顧客がSNSで従業員個人を名指しして虚偽の事実を拡散した行為について名誉毀損が認定された事例。 - 東京高裁判決平成30年2月15日(安全配慮義務違反・精神疾患事件)
要旨: 顧客からの継続的な暴言に会社が適切な対処をしなかったことが安全配慮義務違反として損害賠償を認めた事例。 - 大阪地裁判決令和3年9月28日(カスハラによる精神障害・労災認定関連民事事件)
要旨: 顧客からのハラスメント行為により従業員が精神疾患を発症した事案で、会社の対応の遅れが義務違反とされた事例。
※ 裁判例情報は公開情報をもとにした参照情報です。本記事は弁護士法人ブライトが監修・執筆しています。
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