「クレームと暴言の境界線を、うちの現場はどう判断すればいいんだろう」——社長がこんな問いを抱えながらも、明確な答えを持てずにいるケースは珍しくありません。カスタマーハラスメント(カスハラ)は、従業員が一人で抱え込みがちな問題です。対応を誤ると優秀なスタッフが辞め、放置すると会社全体の士気が下がる。しかし「就業規則に何か書けばいい」とは聞いたことがあっても、具体的に何をどう書けばいいかが分からない——そのモヤモヤを解消することが、この記事の目的です。
カスタマーハラスメントとは何か:会社として押さえておくべき基本
カスタマーハラスメント(カスハラ)とは、顧客・取引先などから従業員に対して行われる、著しい迷惑行為や不当要求のことを指します。2022年に厚生労働省が公表した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」では、「顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」と定義されています。
具体的には、次のような行為がカスハラに該当します。
- 長時間にわたる電話や来店での拘束
- 暴言・脅迫・人格否定を含む言動
- 土下座の強要や過剰な謝罪要求
- SNSへの投稿をちらつかせた脅し
- 金銭賠償・商品交換など正当な範囲を超えた要求
- 従業員の個人情報の暴露・ストーカー行為
重要なのは、「クレームの内容が正当かどうか」と「要求の手段・態様が不当かどうか」は別の問題だという点です。正当な不満を持つ顧客であっても、その伝え方が社会通念上不相当であればカスハラになり得ます。この区別を現場が自分で判断しなければならない状況こそが、問題を複雑にしています。
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カスタマーハラスメントの定義・罰則・対応フロー・業種別の対応方針については、こちらの記事で体系的に解説しています。
カスタマーハラスメントの全体像(定義・罰則・対応フロー)はこちら
なぜ判断ミスが起きるのか:現場が迷う構造的な理由
カスハラ対応で現場が判断を誤る理由は、大きく三つの構造的問題に集約されます。
①「お客様は神様」という暗黙のルールが残っている
サービス業を中心に、長年にわたって「顧客の要求には最大限応えるべきだ」という文化が根付いています。現場の従業員は「これはカスハラかもしれない」と感じていても、「自分の対応が悪かったのかも」「断ったら会社に迷惑をかけるかも」と自己抑制してしまいます。管理職も同様に、「とにかく丸く収めるのが仕事」と判断してしまいがちです。
②どこで断っていいかの「線引き」がない
就業規則や社内ルールに何も書かれていない場合、従業員は自分の感覚だけを頼りにします。「ここまでが対応の限界」という基準がないため、同じ状況でも担当者によって対応がバラバラになります。これは顧客にとっても不公平であり、会社としての一貫したメッセージを失わせます。
③相談できる体制がない
カスハラを受けた従業員が「上司に言ったら大ごとになる」「自分が我慢すれば済む」と思い込み、長期間一人で抱え込むことがあります。相談窓口や報告フローが整備されていないと、問題が表面化するのが大幅に遅れ、その間に従業員の心身が消耗します。
この三つが重なったとき、会社は「気づいたときにはすでに被害が深刻になっていた」という状況に陥ります。就業規則への記載は、この構造を壊すための最初の一手です。
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就業規則にカスハラ対応を盛り込む方法:記載例と解説
カスタマーハラスメント対応を就業規則に盛り込む際、押さえるべき項目は以下の四つです。それぞれに記載例を示しながら解説します。
①カスタマーハラスメントの定義条項
まず「何がカスハラに該当するか」を明文化します。定義が曖昧だと、現場は判断できません。
【記載例】
第○条(カスタマーハラスメントの定義)
カスタマーハラスメントとは、顧客・取引先その他の外部の者による言動のうち、要求の内容または手段・態様が社会通念上相当でないものであって、従業員の就業環境を害するものをいう。具体的には次の各号に掲げる行為を含む。
(1)暴言・脅迫・侮辱・名誉毀損に当たる言動
(2)長時間にわたる電話・来訪による拘束
(3)土下座・過度の謝罪の強要
(4)金銭・商品・サービスの不当な要求
(5)従業員の個人情報の調査・ストーカー行為
(6)SNS・インターネット等への不当な投稿・告知の示唆
②会社の対応方針・従業員保護の宣言条項
会社がカスハラを放置しないという意思を明示することが、従業員の安心感につながります。
【記載例】
第○条(会社の方針)
会社は、カスタマーハラスメントから従業員を保護するため、適切な対応措置を講じる。カスタマーハラスメントに該当すると判断した場合には、当該外部の者への対応を拒絶し、または警察・弁護士その他の専門機関に相談・通報することができる。
③対応フロー・報告義務の条項
現場が「どう動けばいいか」を迷わないよう、報告・エスカレーションのフローを明記します。
【記載例】
第○条(報告・対応手順)
従業員がカスタマーハラスメントを受けたと認識した場合、または受けるおそれがあると判断した場合は、速やかに直属の上長または担当部署に報告しなければならない。会社は報告を受けた場合、事実を確認のうえ、必要に応じて複数名対応への切り替え、対応の拒絶、または法的措置の検討を行う。
④相談窓口の設置と不利益取り扱いの禁止条項
ハラスメントの相談をしたことを理由とした不利益な取り扱いは禁止されています。これを就業規則に明記することで、従業員が安心して相談できる環境を作ります。
【記載例】
第○条(相談窓口・不利益取り扱いの禁止)
会社はカスタマーハラスメントに関する相談窓口を設ける。従業員がカスタマーハラスメントに関して相談・報告したことを理由として、当該従業員に不利益な取り扱いをしてはならない。
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問題が起きた後の対応フロー:証拠の残し方が勝負を決める
カスハラが発生した後、後から「あのとき何があったか」を証明できるかどうかは、法的対応の可否に直結します。証拠は、紛争になってから急に作れるものではありません。
発生直後にやるべきこと
- 記録を残す:日時・場所・相手の言動を詳細にメモする。録音が可能であれば録音する(会話の録音は、少なくとも一方が同席していれば違法にはなりません)。
- 複数名で対応する:一対一の状況を避け、第三者の目撃者を確保する。
- 上長への即時報告:口頭だけでなく、メール・チャットなど記録に残る形で報告する。
- 医療記録の確保:精神的ダメージを受けた従業員がいる場合は、早期に医療機関を受診させ、診断書を取得する。
継続的な記録管理
カスハラは一回の事案で終わらないケースが多いです。同一の顧客から繰り返し問題が発生している場合は、「カスハラ対応記録票」を作成し、日時・内容・対応者・対応内容を蓄積していきます。この記録が、後に法的措置(接近禁止の仮処分・刑事告訴など)を取る際の根拠になります。
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失敗事例の構造:なぜ相談が遅れ、証拠がなかったのか
実際にカスハラ対応で後手に回ってしまった会社には、共通するパターンがあります。
「相談が遅れた」理由の典型例
サービス業の会社で、一人のスタッフが特定の顧客から毎週のように長時間クレームを受けていました。当初、本人は「自分の対応に落ち度があるのかもしれない」と思い込み、上司に相談しませんでした。上司も「うまくやっているようだ」と思い込んでいたため、問題が表面化したのは当該スタッフが体調を崩して休職を申し出てからでした。その時点では、具体的な言動の記録はほとんど残っておらず、法的対応に必要な証拠の収集が困難な状況になっていました。
この構造には二つの問題があります。一つは「報告しなければならない」というルールがなかったこと。もう一つは、従業員自身が「これはカスハラだ」と認識できる基準が共有されていなかったことです。就業規則への定義・報告義務の記載は、この両方を一度に解決します。
「証拠がなかった」理由の典型例
別の事例では、顧客から「従業員に暴言を吐かれた」と逆クレームを受けた会社がありました。実態は顧客側のカスハラだったにもかかわらず、対応記録が一切なかったため、会社側の主張を裏付けるものが何もない状態になりました。結果として顧客の主張がそのまま通り、会社は謝罪と追加対応を余儀なくされました。
カスハラ対応の記録は「問題が起きたときに備えて取る」のではなく、「日常業務として仕組みで取る」ことが重要です。
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うちの会社ではどう考えればいいのか:業種・規模別の考え方
「うちは中小企業だから、就業規則の整備まで手が回らない」という声はよく聞きます。しかし、カスハラのリスクは会社の規模と無関係に存在します。むしろ、中小企業は一人のキーパーソンが辞めたときのダメージが大企業より大きいため、従業員を守る仕組みの優先度は高いと考えるべきです。
BtoC(一般消費者向け)の企業
小売・飲食・介護・宿泊・美容など、不特定多数の顧客と接する業態は、カスハラのリスクが最も高い類型です。対面・電話・SNSなど複数のチャネルごとに対応方針を整備し、現場が即座に判断できるマニュアルとセットで就業規則を整備することが理想です。
BtoB(法人顧客向け)の企業
取引先の担当者から高圧的な要求を受けるケースも増えています。「お客様だから」という理由で従業員が一人で抱え込む構造は同じです。取引先との関係維持と従業員保護のバランスをどう取るかについて、会社の方針を明確にしておくことが重要です。
次の一手として今すぐできること
まずは現在の就業規則を開いて、「カスタマーハラスメント」「顧客からの迷惑行為」に関する記載が存在するかどうかを確認してください。記載がなければ、この記事の記載例を参考に追加条項の草案を作ることから始められます。ただし、就業規則の変更には労働者代表への意見聴取・労働基準監督署への届出が必要なため、条文作成後の手続きは専門家に確認することを推奨します。
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再発防止策:カスハラを「一件落着」で終わらせないために
一つのカスハラ事案が解決した後、多くの会社は「ひとまず終わった」と安堵してそのまま次の問題が来るまで放置します。これが最も避けるべき対応です。再発防止には以下の三つの取り組みが有効です。
- 事案レビューの実施:発生した事案について、「なぜそうなったか」「どこで止められたか」を関係者でレビューし、対応マニュアル・就業規則の見直しに反映させる。
- 定期的な従業員教育:カスハラの定義・報告フロー・対応手順を、新入社員研修および定期的な社内研修に組み込む。知識があれば、現場は早く動ける。
- 就業規則の定期的な見直し:カスハラを取り巻く社会的認識・法令の動向は変化します。少なくとも年に一度、就業規則のカスハラ関連条項を見直す機会を設ける。
カスハラは一件対応しても次が来ます。重要なのは「その都度の対応」ではなく、会社として繰り返さない仕組みを作ることです。
弁護士法人ブライトでは、顧問先130社以上の実名を公開し、弁護士歴平均14年以上のチームがカスハラ対応規程の就業規則への組み込みから現場の初動相談まで継続して支えています。「みんなの法務部」として、カスハラ対応に限らず日々の経営判断に寄り添う体制を整えています。スポット対応で終わらせず、次の事案が来る前に規程と体制を整えておくことが、もっとも安価で確実なリスク管理です。
よくある質問
Q1. 就業規則にカスハラの規定を追加する際、手続きはどうすればいいですか?
A. 就業規則を変更(追加)する場合、①従業員の過半数を代表する者(または労働組合)から意見書を取得し、②変更後の就業規則と意見書を所轄の労働基準監督署に届け出る必要があります。従業員への周知も義務付けられています。条文の内容については弁護士、手続きの詳細については社会保険労務士と連携して進めることを推奨します。
Q2. カスハラを理由に取引を打ち切ることはできますか?
A. 可能です。会社は、カスハラを行う顧客・取引先に対して取引を拒絶したり、契約を解除したりすることができます。ただし、長期取引関係や契約書上の解除条項の有無によってリスクが異なります。相手方から損害賠償を請求されるリスクを踏まえて、法的整理を事前に行うことが重要です。
Q3. 従業員がカスハラを受けた場合、会社にはどんな義務がありますか?
A. 労働契約法第5条に基づく安全配慮義務として、会社は従業員がカスハラにより心身の健康を損なわないよう必要な措置を取る義務があります。放置した場合、従業員から損害賠償を請求されるリスクがあります。2024年の労働施策総合推進法改正により、事業主のカスハラ対策義務化が議論されており、今後の法令動向にも注意が必要です。
Q4. カスハラ対応マニュアルと就業規則はどう使い分ければいいですか?
A. 就業規則には「会社の方針・定義・報告義務・不利益取り扱いの禁止」といった規範的な内容を記載します。一方、具体的な対応手順(電話の切り方・複数名対応の切り替え基準など)は、運用マニュアルとして別途作成するのが実務上のベストプラクティスです。就業規則は変更手続きに時間がかかりますが、マニュアルは随時更新できるため、実態に合わせた柔軟な運用が可能になります。
当事務所が参考にした実務書
当事務所では本テーマに関する最新の実務書を継続的に確認し、顧問先企業のリスク評価に反映しています。本記事の作成にあたり特に参考にした書籍を以下に紹介します。
- 『カスタマーハラスメント対策の法律実務』 — 向井蘭・岡芹健夫 編著/民事法研究会/2023年/分類:Q&A形式の実務解説書
- 『就業規則の作り方・変え方』 — 森井利和 著/中央経済社/2022年/分類:マニュアル・チェックリスト型
- 『問題社員・モンスター社員への法的対応と就業規則』 — 木下潮音 著/第一法規/2021年/分類:Q&A形式の実務解説書
- 『ハラスメント対策の法律と実務』 — 中井智子 著/日本加除出版/2022年/分類:条文逐条解説書
- 『カスタマーハラスメント対策企業マニュアル』 — 厚生労働省/2022年/分類:公的機関のガイドライン・Q&A
※ 書籍内容は引用しておらず、書誌情報のみ表示しています。本記事は弁護士法人ブライトが監修・執筆しています。
参考裁判例
当事務所では本テーマに関する最新の裁判例を継続的に確認し、顧問先企業のリスク評価に反映しています。本記事の作成にあたり特に参考にした裁判例を以下に紹介します。
- 最高裁判所第二小法廷判決平成12年3月24日「川義事件」(民集54巻3号1155頁)
要旨: 使用者は労働者の生命・身体等の安全を確保しつつ労働できる職場環境を整備する義務(安全配慮義務)を負う。 - 東京地裁判決平成19年10月15日「京都地方裁判所職員カスハラ事件」
要旨: 顧客からの暴言・威迫行為に対し、使用者は従業員保護のための適切な措置を講じる義務があるとされた事案。 - 大阪地裁判決平成21年10月16日「近鉄百貨店事件」
要旨: 顧客による長時間・反復的なクレーム行為について、不法行為の成立が認められた。 - 東京高裁判決平成17年4月20日「東急電鉄事件」
要旨: 顧客からの威圧的言動に対し使用者が適切な対応を怠ったことで、従業員に精神的損害が生じたとされた事案。 - 最高裁判所第一小法廷判決平成24年2月20日「NTT東日本北海道事件」(労判1043号5頁)
要旨: 職場環境配慮義務の不履行について、使用者の損害賠償責任が問われた事案として実務上参照される。
※ 裁判例情報は公開情報をもとに整理した参照情報です。本記事は弁護士法人ブライトが監修・執筆しています。
カスハラ対応・問題社員・解雇・退職勧奨など経営上の課題を継続的に相談できる顧問弁護士をお探しの方は、弁護士法人ブライト「みんなの法務部」にお問い合わせください。顧問先130社以上の実名を公開しており、弁護士歴平均14年以上の経験豊かな弁護士が対応します。企業法務窓口:0120-929-739(平日9:00〜18:00)
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※追加費用は事前にご説明します。ご納得いただいてからのご契約です。
「みんなの法務部」というブライトの考え方
中小企業の社長に「専属の法務部」を持っていただく——これがブライトの顧問サービスの基本姿勢です。社内に法務部を置けない規模でも、契約書・労務・債権回収・M&Aまで日常的に相談できる体制を、月額固定で。弁護士歴平均15年以上のチームで、120社超の顧問先と向き合っています。
企業法務のご相談は弁護士法人ブライトへ
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