この記事でわかること 雇用契約書が未整備だと実際に何が起きるか(法的リスク) 雇用形態別に「どの書類が必要か」を確認できるチェックリスト 今からでも書類を整備できる具体的な手順と、顧問弁護士活用のポイント 「雇用契約書、ちゃんと整備されていますか?」 採用のたびに口頭で条件を伝えて、特に書面は交わさずに働いてもらっている——そんな中小企業は、今も少なくありません。あるいは、数年前に作った書類をそのまま使い続け、法改正への対応が追いついていないケースも多く見受けられます。 「うちはきちんと雇っているから大丈夫」と思っていたところに、退職した従業員から突然「残業代を払え」「有給が取れなかった」と主張が来る——これは決して他人事ではありません。問題が起きたとき、会社を守る最初の盾になるのが雇用契約書(労働条件通知書)です。その書類が整っていなければ、会社はほぼ無防備な状態で争いに臨むことになります。 雇用契約書の不備が引き起こす具体的な法的リスク 労働基準法違反:「明示義務」は強制事項 労働基準法第15条は、雇用の際に労働条件を書面で明示することを使用者に義務付けています。具体的には、①労働契約の期間、②就業場所・業務内容、③始業・終業時刻・休憩・休日・休暇、④賃金の計算・支払方法、⑤退職に関する事項——これらは「絶対的明示事項」として必ず書面で交付しなければなりません。 2024年4月の法改正により、さらに①就業場所・業務内容の変更の範囲、②有期契約の更新上限・無期転換に関する事項が追加され、パートタイム・有期雇用労働者には昇給・賞与・退職金の有無なども書面明示が必要になりました。対応が遅れている企業は、今すぐ見直しが必要です。 「言った・言わない」紛争:証拠がなければ会社が不利 労働関係の紛争で最も多いのが「労働条件についての認識の食い違い」です。口頭でしか条件を伝えていなければ、後から従業員に「そんな話は聞いていない」と言われたとき、会社側は何も証明できません。 労働審判や訴訟では、立証責任の観点から、証拠のない主張は認められにくいのが原則です。「自分はきちんと説明した」という経営者の主張も、書面がなければ裁判所を動かす力は弱くなります。 未払い残業代請求:遡及期間は最大3年 労働基準法の改正により、賃金請求権の消滅時効は最大3年(当面の措置)に延長されています。残業代の計算根拠となる所定労働時間・時間外割増率が契約書に明記されていなければ、「そもそもどこからが残業か」の争いにまで発展します。明確な書面がない場合、会社側に不利な解釈が採用されるリスクがあります。 有期契約の「雇止め」無効リスク 契約期間を定めたパートや契約社員については、雇止め法理(労働契約法第19条)への対応が欠かせません。更新を繰り返して「実態として無期雇用に等しい状態」になっている場合、雇止めが無効と判断されることがあります。契約書に更新の有無・更新の基準を明記しておかないと、この点の立証が困難になります。 書類不備が招いた実際のトラブル事例 事例①:口頭採用で「正社員のつもりだった」と主張された製造業のケース ある製造業の会社では、知人の紹介で入社した従業員について、雇用契約書を交わさないまま約2年間勤務させていました。従業員が退職する際、「自分は正社員として採用されたと理解していた。退職金を払え」と主張。会社側は「パートタイムとして採用したつもり」と反論しましたが、書面がないため雇用形態を立証できず、労働審判において会社側が相当額の解決金を支払う形で和解に至りました。 雇用契約書に「有期・パートタイム」と明記し、更新の有無と条件を記載しておけば、このような争いは最初から防げたはずです。 事例②:就業規則との乖離を指摘された小売業のケース ある小売業の会社では、数年前に作成した雇用契約書をそのまま使い続けていました。その後、法改正に対応して就業規則を改定したものの、雇用契約書の更新は行われていませんでした。退職した従業員から「契約書に記載されている労働条件と実際の扱いが違う」として未払い賃金の請求を受けました。就業規則と契約書の内容が食い違っていたため、有利な条項を会社が主張しにくい状況になり、交渉が長期化しました。 書類は一度作ったら終わりではなく、法改正や就業規則の改定に合わせて定期的に見直すことが不可欠です。 整備すべき書類:雇用形態別チェックリスト 雇用形態ごとに必要な書類と記載事項は異なります。以下のチェックリストで自社の状況を確認してください。 【全雇用形態共通】労働条件通知書・雇用契約書に記載すべき必須事項 ☐ 労働契約の期間(無期・有期の別) ☐ 就業場所・業務内容(変更の範囲も明記) ☐ 始業・終業時刻、休憩時間、休日・休暇 ☐ 時間外・休日・深夜労働の有無 ☐ 賃金の計算方法・支払日・支払方法 ☐ 退職・解雇に関する事項 ☐ 試用期間の有無と期間 【有期雇用・パートタイム】追加で必要な記載事項 ☐ 契約期間・更新の有無・更新の判断基準 ☐ 更新上限の有無(上限がある場合はその回数・期間) ☐ 無期転換申込権が発生する場合の説明 ☐ 昇給・賞与・退職金の有無(パートタイム・有期労働者法に基づく明示) ☐ 正社員との待遇差に関する説明 【テレワーク・在宅勤務者】2024年改正対応 ☐ 就業場所として「自宅(テレワーク)」を明記 ☐ 就業場所の変更範囲(出社が求められる場合の条件等) ☐ 通信費・機器費の負担に関する取り決め ☐ 業務報告の方法・頻度 書類整備のタイミングチェック ☐ 採用のたびに新しく作成しているか ☐ 就業規則を改定した際に雇用契約書も更新しているか ☐ 法改正(直近では2024年4月)に対応した書式に変更しているか ☐ 署名・捺印(または電子署名)が双方から取得されているか ☐ 会社・従業員双方が1部ずつ保管しているか 「整備できていない」と気づいたときにすべきこと ステップ①:現状の棚卸しをする まず在籍中の全従業員について、雇用契約書(または労働条件通知書)の有無と内容を確認します。書類が存在しない、あるいは内容が古い場合は優先度を高くリストアップします。 ステップ②:雇用形態別にひな型を整備する 正社員・有期雇用・パートタイム・テレワーク可否など、自社の雇用パターンに合わせたひな型を作成します。この段階で、就業規則・賃金規程との整合性を必ず確認してください。就業規則と雇用契約書の内容が矛盾していると、後のトラブルで両方が使えない事態になりかねません。 ステップ③:在籍者には「覚書」や「労働条件通知書」を追加交付する 既存の従業員について書類がない場合、遡って雇用契約書を締結することも可能です。ただし、従業員が内容に同意することが前提になるため、変更がある場合は丁寧な説明が必要です。弁護士に相談しながら進めることを強くお勧めします。 顧問弁護士がいれば「継続的な整備」ができる理由 雇用契約書の整備は、一度だけ行えば終わりではありません。労働法は頻繁に改正され、会社の事業内容や雇用実態も変化します。そのたびに書類を見直し、就業規則との整合を保つ作業は、法的知識がなければ正確に行うことが困難です。 顧問弁護士を活用する最大のメリットは、法改正のたびに専門家が能動的にアドバイスをくれるという点です。「知らなかった」「対応が遅れた」というリスクを、日常的に排除できます。また、従業員から問い合わせや苦情が来た際も、初動の対応を相談できるため、問題が大きくなる前に収められるケースが多くあります。 顧問弁護士の活用について詳しくは、こちらの記事もご参照ください。 → 顧問弁護士は必要?重要性・利用すべき場面・費用対効果の判断基準 また、雇用契約書と並んで見落とされがちな書類として、事業用物件の賃貸契約があります。たとえば定期借家契約の中途解約のように、書面の内容次第で会社の選択肢が大きく変わる局面は、労務以外にも多数存在します。契約書類全般の整備を、顧問弁護士と定期的に見直す体制を作ることが重要です。 よくある質問(FAQ) Q1. 雇用契約書を今まで作っていなかった場合、今から整備しても遅くないですか? 遅くはありません。今すぐ整備を始めることが最善の選択です。書類がない状態が続くほど、トラブル発生時のリスクは高くなります。在籍中の従業員については、あらためて労働条件通知書を作成・交付することが可能です。ただし、現在の実態と異なる条件を事後的に「合意した」形にすることはできませんので、弁護士に相談しながら進めることをお勧めします。 Q2. ネットで拾ったテンプレートを使っても問題ないですか? 無料テンプレートは一般的な記載事項を網羅していても、最新の法改正(2024年4月の明示事項追加など)に対応していない場合があります。また、自社の就業規則・賃金規程との整合性は、テンプレートだけでは確認できません。最低限、テンプレートを使う場合でも弁護士や社会保険労務士にレビューを依頼し、自社の実情に合った内容に修正することが必要です。 Q3. 口頭での合意があれば、雇用契約書がなくても法的に有効ではないのですか? 労働契約そのものは、口頭でも成立します。しかし、労働基準法は「労働条件を書面で明示する義務」を使用者に課しており、書面交付を怠ること自体が法令違反(罰則あり)になります。また、口頭合意の内容を後から立証することは極めて困難で、紛争になった場合に会社側が大きく不利になるのが実態です。法的有効性とリスク管理は別の話として考える必要があります。 監修:弁護士法人ブライト 企業法務チーム 大阪・神戸を拠点に企業法務・顧問弁護士サービスを提供。中小企業の法的リスク対応を日々サポートしています。 ※本記事は一般的な法律情報の提供を目的としており、個別の法律アドバイスではありません。具体的な問題については弁護士にご相談ください。